盆踊り
もう子どもたちは夏休みだというのに、まだ梅雨空が続く関東地方ですが、そんな中の週末、近所の寺院で盆踊りがあり、浴衣で出かけました。焼きそば、ポップコーン、おにぎり、枝豆、かき氷...地域のボランティアが出店する店が並び、奥では炭坑節や東京音頭などの音楽が流れ、それに合わせて小さなやぐらでお寺の住職が太鼓を鳴らし色とりどりの浴衣を着た大人や子どもが輪を作って踊っていました。何ともほのぼのとした地域コミュニティです。
お寺で行われているので、夏祭りというか『みたままつり』という名前で催されており、先祖の霊が訪れる魂祭り(たままつり)といった仏教的要素が元になっていました。早速、踊りの輪に入って炭坑節を踊っていると、とても単純な動作なのにとても楽しくて、周りの人や自然の空気と一体になったような気持ちいい感覚になりました。この様な盆踊りは、日本各地で伝統的に伝わっています。昔は文字ではなく、『ことば』や「うた」、「おどり」などの表現が、豊かなメッセージ力をもっていたのですね。
盆踊りの種類
盆踊りには、伝統系の盆踊と戦後に発展した民謡踊りという大きく分けて2つの潮流があります。伝統踊りは、仏教系の念仏踊りと日本古来の風流踊りが結びつき、それが盆行事に吸収されて1400年代には成立したと考えられます。その種類は多様で、地元の民俗風習と密接な関係があり、歌、太鼓、笛、三味線入りなどの生演奏により踊りが行われます。学校などでも、日本の伝統を教育するのに盆踊りが活用されています。民謡踊りは、戦後に発展したもので、新民謡(東京音頭など)のレコードを活用した盆踊りが地域交流の場として設定されました。昭和30年代には、流行歌手三橋美智也が吹き込んだ串本節などの民謡も有名になりました。その後もドラえもん音頭や市区町村で独自に創作した音頭など次々新しいものが作られ、CD活用の盆踊が婦人会や自治会などの主催で各地で行われています。
念仏から始まった盆踊り
盆踊りの直接の母体となり、後の多くの民俗芸能の起源となったのが「踊り念仏」と考えられています。踊り念仏は、「念仏信仰」という宗教面と、「集団での踊り」という芸能、パフォーマンス面とを結びつけたもので、鎌倉時代の宗教家「一遍」が広めたことは広く知られています。一遍の踊り念仏が記録されている聖絵には、弘安2年(1279年)の秋に信濃善光寺に、また、承久の変で叔父河野通末が流された佐久郡伴野に赴き、そこの佐久郡小田切の里にある武士の館でたくさんの道俗と共に念仏しているうちに、突然、一遍が踊りだし、一同これにならって踊りまわったというものが描かれています。その踊りとは、踊ろうと思って踊るのではなく自分では知らず知らずに春駒のように踊っているのであり、踊りは心の開放につながっていたようです。さらに聖絵には、舞台のように高い踊り屋を建てて踊っており、その周りを老若男女、武士、僧尼などが群がって踊り念仏を眺めていたり両手を合わせて祈っている場面も描かれているそうです。
一遍の念仏は「信不信をいわず、浄不浄をきらわず、ただひたすら仏願に乗じて無心に唱え、我が申す念仏ではなく、仏と共に申す念仏、最後にはその我も仏も消え果てて念仏が念仏を申す。南無阿弥陀仏になりきること」というもので、融通念仏によるものだったと言われています。融通念仏とは、自分の唱える念仏の功徳はすべての人の功徳となり、他人の唱える念仏は自分の功徳にもなるという念仏の信仰です。この融通念仏は、うたう念仏つまり、合唱の念仏でした。一遍は「合唱に参加するものは、その念仏の功徳を融通しあうから、百人の人が百遍の念仏を合唱すれば、その一人が、百万遍の念仏を唱えたことになる。そのためには、一人でも多くの参加者を募る必要があり、この融通念仏に参加をすすめるのが聖の仕事である」という信念で、その生涯を日本全国、一人でも多くの人々に念仏をすすめて歩いたそうです。
現代の日本各地の伝統系盆踊りには、踊り念仏または念仏踊りが伝承されています。踊り念仏には、宗教的要素が濃厚であるのに対して、念仏踊りは、ほとんど宗教的要素は無くなってしまい、民俗芸能となっています。全国各地の盆踊りや鎮花祭・豊年祭などで行われる在家信者の踊りを念仏踊りといいます。踊り念仏は自己を宗教的な陶酔に導くためのものでしたが、念仏踊りは芸能化が進み、死者の霊を慰めるためのものへと変化しています。
夏の夜に踊るわけ
古来から、日本人にとって夏は異界・他界との交流が盛んになる季節と考えられてきました。夏のピークであるとともに、秋への季節の変わり目である「お盆」は、さまざまな霊的存在=「精霊」(しょうりょう)が去来する時季であったのです。また、正月と七月を一年の前半と後半の節目とし、それぞれ先祖の霊が訪れる魂祭り(たままつり)の時季とする考え方も、古くからありました。盆に訪れるとされるの種類としては、1イエやムラの先祖の霊、2新盆の霊(新精霊)、3無縁仏や餓鬼などの不成仏霊、の3つに分けて考えるのが一般的です。それぞれの「精霊」への対応としては、1「お盆には先祖の霊が還ってくるので、それをお迎えする」2「まだ不安定な新盆の霊はしっかりと踊りで鎮魂する」3「望ましくない悪霊などは踊りで追い払う」、といった考え方になります。そして盆踊りは、これらの精霊の供養や鎮送とかかわる芸能と考えられます。
こうした宗教民俗的な理由が、お盆に盆踊りを踊る文化の底流にあるものと考えられます。13日〜16日という日程が「迎え盆〜送り盆」の日程とぴったり一致している、ということです。すなわち「ご先祖の霊や新盆の霊などの精霊がふるさとに戻ってきている」とされている期間が、盆踊りの期間として選ばれているわけです。ところが、全国の盆踊りの日程を調べてみると、8月16日の「送り盆」(精霊送り)の後に盆踊りを始める地域が見られます。こうした「後半型」の開催日程は、秋田の西馬音内盆踊りや毛馬内盆踊りなど東北地方に多くみられるほか、沖縄のエイサー(旧暦盆の「ウークイ(=送り)」のあと)など、本州の縁辺部に比較的多く分布しているようです。こうした日程の前後の相違には、精霊の「迎え」を重視するか「送り」を重視するかとう信仰の相違か、または送り盆までは亡者や精霊のための踊り、送り盆以降は人間のための踊りになるといった目的の相違か、などの側面があると考えられます。
なぜ夜に盆踊りをするところが最も多いのかといえば、最も重要で根本的な理由として挙げられるのは、日本の祭りそのものが本来「夜」に行われるものであった、ということです。現代に生きる私たちは、お祭りが日中に開催されていることにもはや疑問を感じません。しかしよく気をつけて見ると、古式ゆかしい神社のお祭りなどでは「宵宮」「夜宮」の伝統が見られたり、夜を徹した儀式が行われていることに気づきます。「夜」は、神聖で神秘的な時間であり、神様が来臨する時間であるというのはとても自然で、とても古い時代からの考え方です。この夜に神様を迎え、歓待し、送り出すというのが、日本のお祭りの基本的な構造なのです。そして、訪れた神様に食事を差し上げ、さまざまな芸能でおもてなしし、みんなで一晩寝ずにお側にお仕えする、というのがお祭りの儀式の中身ということになります。お盆は、家々やムラにとっての大切な精霊を迎えるおまつり=「魂祭り(たままつり)」という祭りの一種です。盆踊りは、精霊のためのもてなしや供養のための芸能、という側面を持っており、夜に徹夜までして踊るのは、こうした古くからの「祭り」の伝統が盆踊りによく受け継がれているためと考えることができます。
サークルスタッフの中には東京出身や大阪出身の人たちがおり、子どもの頃よく踊っていた盆踊りを踊りあったりしたところ、踊りで表現されるテンポや動作の中に、地域性や人柄や雰囲気などが肌で感じられた気がしました。まだまだこれからが盆踊りの季節です。みなさんの地域では、どんな踊りが夏の風物詩となっているのでしょうか?